あの日、阪神淡路大震災が現実を覆し
ビジネスの意味が揺らいだ
30年前、27歳のわしは
ただ前を向いて進むしかなかった
今、南海トラフ地震の確率が80%と聞くと
私たち経営者は何をすべきか
考えざるを得ない
地域とともに生きること
その意味を再考する時が来たのかもしれない
ブログ責任者の
板坂裕治郎とは・・・
業界の常識をぶち破り
誰からも憧れられる
影響力を持った経営者を輩出する
これをビジョンに
NJE理論ブログという
オリジナルメソッドを全国でセミナー展開し
百発百中で彼らの人生を変えている
アホ社長再生プロモーター
それでは2025年1月17日号
行ってみよう!
30年前の今日
とんでもないことが起こった
いつものように朝起きて
テレビを付けたら
どのチャンネルも
同じ報道をしていた
どこの国のニュースなんだろう
そう思ってみたのを覚えている
わしがちょうど
27歳の時だった
その当時は
まだ洋服屋をバリバリやっていた時代で
1月と言えば
その年の冬物の商談で
東京や大阪のメーカーで
展示会があるので
その展示会に行っていた時期
阪神淡路が
こんな状態になっている中
アパレルメーカーも
冬物の受注を取らないといけないから
展示会の日程を長くするので
ぜひ来てください!
そんな状況だったけど
とにかく新幹線が動いてない
その当時、ミナミの帝王への
衣装提供とかもしていたので
大阪のアパレルメーカーと
多く取引をしていたので
あの当時は
車を走らせて
広島から大阪まで
12時間くらいかけて行っていた
今考えたら
zoomつないで
オンライン注文
こんな事が出来たと思うけど
その当時はそんな事も出来なかった
あれから、もう30年か・・・
あの当時、車で神戸の町も走りながら
こんなヒドい災害
今まで見たこともなかったし
これからも見ることもないだろうと
そう思っていたけど
そこから16年後の
2011年3月11日金曜日
これはわしが
自分で現地で撮った写真
あの当時の神戸がかすんで見えるくらい
スゴい状況じゃった
そしてそこからも
熊本でも宮崎でも石川でも
そんな状況を考えると
わしら起業家が
どんなに頑張って
ビジネスをしたとしても
こんな事が起こってしまったら
ビジネスどころじゃなくなる
他社のことなんかどうでもいい
うちだけは儲けるぞ!
なんて言っていても
地域が消滅してしまったら
売上なんて言ってる場合じゃなくなる
つい最近も
ということは
何年後かは分からないけど
確実に起こるのは間違いない
ということはよ
自社だけ儲かっていれば良いのか?
これからの
わしら企業のあり方っていうのも
考えていかんといけん気がする
わしらは
色々な意味で
ということを
忘れちゃイケん気がする
そんなことを
深く考えさせられる
1月17日なんじゃけど
この日になると
もうひとつ考えることがある
うちの日高の誕生日
うちに来たときは
30歳そこそこの
まじでポンコツ社員じゃったけど
そう感じる
彼にも息子がいるし
そんな子供達が
安心して暮らせる日本を
わしらが主体とならんと
イケんのんじゃの~~
って
なんか色々と感じるこのある
1月17日でした
このブログを読んで
何か疑問に思ったことや
質問してみたいことがあったら
ここに質問してみて
ゆうじろうロボットが
板坂裕治郎に変わりお答えしますので
ほんじゃまた