今日で平成が終わるんですね・・・
わし的には
つい最近平成になったような気がする
あの当時は
まだ水商売バリバリやっているときで
昭和天皇がなくなられたときは
ほとんどお店が
店を閉めるというので
わしらも店を閉めて
スタッフ全員で別府だったかな
温泉旅行に行ったら
別府の飲み屋街も
全部閉まってて
結局部屋飲みをした記憶がある
あれから30年か・・・
振り返ると色々あった30年なんじゃね
バブル崩壊も
阪神大震災も
同時多発テロ事件も
東日本大震災も
ウインドウズ95やiPhone
こうやって振り返ると
平成って
震災とインターネット
この2つのキーワードが
大きな象徴のような気がする
そんな30年
わし的には
よくよくどん底を
見せてもらった期間じゃった
1990年3月4日
一般人が着ない洋服屋
TAI&GEEをオープンし
1993年
ファッション雑誌企画で
坪単価売上全国8位に選ばれる
1994年
社員が1800万持ち逃げし
気持ちが沈んでしまうから
もう一度飲み屋を出そうと
ROOZ bar(ルーズバー)を出店
そこから順調に盛り上がり
100坪のラーメン屋出店
2店舗目のbarを出店
そこからキャバクラ出店
洋服屋の仕入れ先の
相次ぐ倒産もあり
このあたりから
暗黒時代に突入していく
不思議なもんで
暗黒時代の思い出って
あんまり覚えてないんよね
あの当時の記憶だけ
ぽっかり抜けている感じ
それだけ毎日
極限状態にいたんだと思う
そんな平成を振り返りながら
昨日、事務所で断捨離をしてたら
懐かしい写真がいっぱい出てきた
これ確か
1992年とかじゃないかな
真ん中が
原辰徳さんで
その左が呂 明賜(ろめいし)
そしてその左が緒方耕一さん
これもそのくらいかな
カープの大野豊さん
本当に原さんと大野さんには
良く買ってもらった
そしてなんかのイベントで
ゲストに清水宏次朗さんが来ていて
そのイベントの司会を
わしがやったんじゃけど
その時に対談のコーナーがあって
清水宏次朗さんて言ったら
ビーバップの印象が強いんですが・・・
って言ったら
彼がむっとした顔をして
清水宏次朗は
ビーバップの清水宏次朗じゃないんだ!
その勝手な思い込みを
止めてくれるかな
みたいなことを言われた
なのでとっさに
違う役名を出そうと思ったけど
な~~~んにも出てこんかった
清水宏次朗と言えば
やっぱりこれじゃろ
そしてこれも
竹内力さんと初めて会った時かな
これもイベントの司会を頼まれて
やった時のゲストが彼だった
この時はまだ
101回目のプロポーズというドラマで
バイオリン弾きをやっていた
まだ好青年の役が多い時じゃった
この後みんなで打ち上げに行ったんじゃけど
その時に彼が話す口調が
ろれつを回すしゃべり方で
全然好青年とはかけ離れていたので
力さん、絶対にやくざ映画に出たほうがええよ!
って言ったのを覚えとる
その後ですよ
このシリーズが爆発するのが
じゃけ、わしの中では
わしのアノ一言が
彼の人生を変えた!
そう思っている
じゃけ、今でも
百発百中で人生変えてあげるけ!
って豪語しているんだと思う
そんなわしの平成は
なかなかのジェットコースター
でも、やっぱり
客を魅了するジェットコースターは
勾配がきつい方がウケるでしょ
だからわしは
この人生を一切悔やんでない
なかなか刺激的な平成じゃった
みんなの平成は
どんな平成でしたか?
っと、時代は
平成から令和と移り変わっても
このNJE理論ブログは変わらず
毎日間日続いていきます
ほんじゃまた