今、麻央ちゃんの訃報をが流れてきた
34歳だって
わしの34歳と言ったら
ちょうど洋服屋を
やめようか、頑張ろうか
ブチ揺れとる時じゃった
夜になると、心がセンチになって
明日社員に発表しよう・・・
そう心に誓って布団に入り
寝覚めの悪いなか
朝日を見ると
ホンマにそれで良いんか?
まだやり残したことがあるんじゃないんか?
って、もう1人のわしが
叱咤激励してくるので
よし!頑張ってみよう
こんな繰り返しが
続いている時じゃった
でも仮に
わしがあの時点の34歳で亡くなっていたら
今のこんなにたくさんの生徒さんに囲まれて
全国を飛び回っている人生を
見ることすらできんかった
そう思うと、34歳の死は
無念以外の何物でもない
こんなに世の中には
生きたくても生きれん人たちが
沢山いるというのに
自らの手で
自らの命を絶つ
その理由が
今が苦しいから
その苦しさから逃れたい
その一心で命を絶つ
そんな安っぽい命なら
まだまだ生きておかないといけない人に
命をあげて欲しいわ
わしは昔
7人もの自殺した奴の葬儀に出たことがある
1人は鬱だったけど
残りの6人はすべて借金苦
しかも1000万以内という
ちっぽけな借金で・・・
そんな奴らの葬儀に出て
お前らの人生の値打ちは
そんなに安いもんなんか
ってイライラしたのを覚えとる
その心境を語った映像があるので
時間があったら見てみて
じゃ、年をくってからの死はどうかというと
わしの考える
年をくってからの死というのは
自分がここまで生きてきた総決算が
葬式に参列する人の数に現れる
そう思っている
どれだけの人が
その方が亡くなられたことを
最期まで見届けたい!
そんな想いが現れる
ただ、肩書きで
人が多く集まるのは
全然意味がないけど・・・
よくサラリーマンの人とかだったら
役職が付いているうちの葬式だと
会社関係者の人達も多く来るけど
いざ定年してしまうと
寂しい葬儀になっている
そんな人もよく見かける
これは、
その人の魅力で人が集まっていたんじゃなく
その人の肩書きで
人が集まっていただけと言うことになる
たまたま今日は
わしがどん底状態で
すべてのお店も辞めて
何もすることがなかったときに
営業とは!
これを教えてくれるか
っと、コンサルタントの仕事をくれた会社の
会長さんの葬式があった
それはそれは
盛大な葬儀じゃった
これだけ人に愛されて
人から慕われていた証拠じゃろう
これが
その人の人生の値打ちじゃと思う!
なので、わしら人間は
いつどこでどうなるかは
神のみぞ知ること
ならば、常に悔いのない
人生の選択をせんといけん!
やりたいと思ったことは
なにがなんでもやり通し
利他の精神で
周りを幸せに出来るような
そんな人生を全うしたい!
今日は、礼服を着て
そんな事をかみしめています
ほんじゃまた