親父は寿司屋から仕出し業に転身し
その後寿司食材の会社に就職
その勇気ある決断を尊敬しています
人は失敗を恐れず
決断し挑戦することが大切です
そんな挑戦者たちの話を
リボーンアワードで聞いてみませんか?
ブログ責任者の
板坂裕治郎とは・・・
業界の常識をぶち破り
誰からも憧れられる
影響力を持った経営者を輩出する
これをビジョンに
NJE理論ブログという
オリジナルメソッドを全国でセミナー展開し
百発百中で彼らの人生を変えている
アホ社長再生プロモーター
それでは2024年11月13日(水)号
行ってみよう!
わしの親父は
寿司屋でした
わしが生まれた頃は
今のように
回る寿司屋じゃなくて
高下駄に白い帽子をかぶって
カウンターで食してもらう
そんな本格的な寿司屋でした
この写真は昔わしが
「笑っていいとも」に出演したときに行った
銀座久兵衛の写真
わしの家は
こんなに立派じゃなかったけど
そしてわしが小学生の頃
寿司屋というお店形式から
市場に持って行く
寿司のお弁当屋のような
仕出しや形式に変化した
その当時はまだ
コンビニとかもなかったので
寿司のお弁当は
飛ぶように売れていた
その当時は
広島駅の東側にあった
愛友市場に1日何度も
巻き寿司やいなり弁当を届けていた
だから毎年年末になると
正月用の弁当として
板坂家総出で
12月29日あたりから
ほぼ徹夜で弁当を作る
家内制手工業の始まり
というのが
1年最後の締めくくりじゃった
我が家の組閣は
親父が社長
お袋が専務
アニキが部長で
次男であるわしは
我が家では一番下っ端じゃけ
なかなかメインの
にぎりとかはさせてもらえず
ずっといなりの袋に
シャリを詰める
そんな単純作業の繰り返しじゃった
でもそんな家業も
わしの親父が
お前らにはお前らの人生がある
じゃけ、この仕事は一切継がなくても良い
っと、わしが社会人になる前に
さっさと辞めて
寿司の食材を作っている会社に
Uターンサラリーマンを始めた
あの当時は
なんで今さらサラリーマンなんて
って思っていたけど
わしが高校生の頃
コンビニが出来始めて
この市場に「弁当を卸す」
という仕事に
先行き不安を感じていたらしい
だから、その寿司食材を作っている会社から
ヘッドハンティングを受けたときに
この寿司屋に
さっさと見切りを付けたようじゃ
うちの親父の
この決断は
わしがその当時の親父と
同じ年齢になって感じると
個人事業主から
50歳前になって
サラリーマンへ
しかも、ビジネスで下手を打ったわけじゃなく
どちらかというと
結構儲けてた方じゃと思う
そんな状態で
Uターンサラリーマンなんて
わしにはできん決断じゃわ
こんな感じで
人間生きていれば
色々な決断をしいられるときがある
しかし、そこで下した決断が
正解だったか
不正解だったかは
この先の人生を歩んでいかなければ
答えなんて出てこない
人間は誰しも
失敗することを恐れる生き物
でも、その失敗って
誰が決めたの
それがおこった直後は
やっちまった~~
って思うかも知れないけど
その「やっちまった~~」
ってのがあるから
人生が鍛えられて
あとあと、良かったと思える
事実になるかも知れんのんよ
じゃけ、何を持って
失敗
という二文字にしてしまうのか
大事なのは
この
やっちまった~~
というのを
身体で感じること!
そしてそれを感じようと思ったら
まずは決断して
実践して
失敗して
また実践する!
これを繰り返した人が
人として大きな成長を遂げていく!
そんな失敗して何度も立ち上がってを
繰り返している人達の話を
聞かせてもらおうじゃないですか!
今日がリボーンアワード早割最終日!
人生変えに来ませんか?
このブログを読んで
何か疑問に思ったことや
質問してみたいことがあったら
ここに質問してみて
ゆうじろうロボットが
板坂裕治郎に変わりお答えしますので
ほんじゃまた